"translucent portrait 1" 2016
"in the rain"2016
"huge but quiet" 2016
"translucent portrait 2" 2017
"wave from over there" 2016
"medieval rob princess" 2016
"Stone’ s profile" 2016

Photo by Keizo Kioku

1-2月のTARO NASUは榎本耕一の個展を開催いたします。
TARO NASUでは2回目の個展開催となる榎本耕一。本展覧会では、新作のペインティングを発表いたします。

榎本 耕一| Koichi Enomoto
1977年大阪府生まれ。金沢市立美術工芸大学卒業。同大学院博士前期課程中退。現在は千葉にて活動、制作中。
近年の主な展覧会に2015年「超能力日本」(HAPS、京都)、2014年 「21世紀旗手」(TARO NASU、東京)、「絵画の在りか」(東京オペラシティアートギャラリー、東京)、「GRAPHIC NOVEL」(アラリオ・ギャラリー、ソウル)など。

「僕は、絵を描くにあたって、モチーフとするための石を、千葉県銚子の石だらけの海岸に拾いに行った。

夕暮れ時、風に吹かれながら、誰もいない海岸で石を集めた。石には人の魂が宿る、と聞いたことがあったので、もしかすると人面が見える石もあるかもしれない、あったら嫌だな。などと思いながら絵になる石を探した。

疲れてあたりを見回すと、海の反対側の道は崖の腹に開いたトンネルの中に続いているが、トンネルは、土砂崩れがあったらしく立ち入り禁止になっている。穴に空気が吸い込まれているように見える。真っ黒な穴だ。
海を望むやや高い場所には、縦に細長いピラミッドのような形の、海難事故犠牲者の慰霊碑が建立されてある。近づいてみると、田舎の家の居間に貼ってある遺影みたいな写真がふたつ、タイルになって貼ってある。彼らは海に飲まれたのだ。考えると、海に飲まれたのは彼らだけではない。僕は、人を飲んだ海の前で気に入る石を探してあるいている。海に目をやると、とても静かな海だ。白い鳥たちが、空中に紙のようにぺらぺらと飛んでいる。
僕はさらに石を拾いながら、先日読んだ万葉集の中の一首を思い出した。折口信夫の「口語万葉集」から引用する。

われのみや、夜舟は漕ぐと思へれば、沖辺の方に舵の音(と)すなり
(自分ばかり、夜舟をば漕いでいるのだろうか、と思うていたら、沖の方に思いがけなく、艪の音がしていることだ。)

暗い夜の海に、エンジンもGPSもついていない小舟で、艪を動かして漕ぎ出すのは怖そうだ。舟に松明をつけているにしても、あたりには何も見えまい。時々海面から魚が飛び出して、不意をつかれるだろう。そのような孤独な耳に、自分以外の人間が艪を操っている音が聞こえてくる。
僕は石を拾いながら、最近読んだ本について思い出した。万葉集、古事記、日本書紀、日本霊異記、折口信夫、柳田国男、谷川健一、岡野弘彦、柄谷行人、和辻哲郎、井筒俊彦、エトセトラ。本の内容を暗唱できるわけではない。内容をうまく咀嚼できたわけでもなかろう。けれど彼らがかつて存在した気配が、夜の奥に聞こえる艪の音のように僕に機能した気がした。

文字よりも感触を、見えるものよりも聞こえるものを優先して絵に落とし込む。僕はたとえば、石を掴む感覚を頼りに想像を膨らませる。感触や音から生まれて来るイメージを絵に落とし込む時、絵は視覚の再現に止まらず、感触や音が、図像に何らかのエフェクトを与える。僕は、今回の展覧会の絵のモチーフのひとつとした古事記という書物にしても、いつもより耳を澄まして読んでみた。遥か昔の人が聞いた音、触った感触、感じた痛み、喜びが、身に沁みて来る。文字情報は置いておいて、感覚の記憶を頼りに絵を作る。すると絵の中では、現代に生きる僕が、耳や感覚を通して身に落とし込んだ記憶の数々と、時間的断絶を超えて平気で並列することを始める。ただ並ぶだけではなく、ひとつひとつが、感覚的なつながりを持って同居する。
一瞬の感覚のあとに思考する言葉、それは僕と昔の人では大きな違いがあるだろう。でも、その前は、同じだろう。僕は、自分の感覚を信じて、手探りで絵を描き、完成イメージに肉迫することを心がけて仕事をした。完成した絵が、夜舟の上で聞く艪の音のように人に機能すればベストだし、そのような機能をもつひとつの記憶となれば、さらに良いと思う。」

榎本耕一