©︎Yosuke Bandai Courtesy of TARO NASU

万代洋輔「腔(くう)」
2026年2月24日(火)-3月21日(土)
火-土 11:00-19:00 
日月祝 休
*オープニングレセプション:2月24日(火) 17:00-19:00

腔(くう)
肉体の内部の中空になっている部分。はらの中。からだ。身のうち。

「制作の過程では、ある人物との対話が行われた。 対話のために用意されたオブジェを組み替えるうちに、偶然、自身の姿を想起させるかたちが現れた。
この出来事を契機に、過去に撮影したネガフィルムを取り込み、反転や転写を重ねるデカルコマニー的なプロセスへと移行した。

使用したネガは、夜の歩道脇にあるステンレスの窪みに、車のライトや街灯の光が反射して変化する様子を連続的に撮影したものである。
光を受けて像を返すその窪みは、身体内部の腔と呼び交わし、像の生成と変容を促す契機となった。

操作を繰り返すうちに左右の呼応が生じ、像は記憶と響き合うように立ち上がっていった。

こうして生じた像は描き手に共有され、自らは描かず、言葉やあわいに生まれる気配をたよりに絵画へと移行した。」
—万代洋輔

眼前に一つの像が結ばれる。それは実在するモノであると同時に、実体を持たないイメージと呼ばれる存在にもなりうる。万代洋輔の知覚世界において、イメージは外的条件や見るものの主観により常に変化するという諦念にも似た確信を持って立ち現れる。万代は活動の初期から、一貫して何かを何かに置き換えることで現れてくる真実を追求し続けてきた。

富士山の樹海に潜入し、そこに廃棄されているゴミを「彫刻」として積み上げて撮影した写真作品、ファウンドオブジェクトをスキャナーにそのまま置いて「撮影」する、カメラという「眼」の仲介を排除した「写真」作品、絵画の「擬態」たらんと試みる「写真としてのデジタル画像」など、彼の作品世界において、置き換えていくことの可能性は通底する重要な主題なのである。

眼前のモノが表すイメージと、それを眺める自分のなかで感じるものとの違和感やズレ。それこそが作品制作の原動力だと語る万代にとって、イメージと鑑賞者の間に生まれる関係は定着や完成をみることのない、持続的かつ往還的な認知活動である。とすれば彼にとって、絵画や写真は、その変化し続ける共犯関係のきっかけとなった魅力的な残滓なのか、あるいは出来事として外部化されたイメージをたたえるための空の容器なのだろうか。

万代洋輔
1980年 東京生まれ、東京にて制作活動。
主な展覧会に、2021年「digitus」(TARO NASU)、2019年「六本木クロッシング2019展 : つないでみる」(森美術館)、「FOTO / INDUSTRIA」(International Museum and Library of Music)、2017年「APMoA Project, ARCH :Digitize memory with 5」(愛知県美術館)、2016年「Friday, September 9 – Friday, October 7, 2016」(TARO NASU)、2015年「通行人間」(CAPSLE)、2014年「あばら骨しか信頼してないじゃないですか俺」(TARO NASU)、2012年「病める万代、無類無敵の情熱」(AI KOWADA GALLEY)、2009年「RADICON」(ヒロミヨシイ)など。