7月、8月のTARO NASUは、片山博文の個展を開催いたします。
片山博文は写真をパソコンに取り込み、イメージを数値へと変換させ、 写真の姿を借りたコンピューターグラフィックス=「偽物の写真」を作り出します。 片山の作品は、画素で構成されるペイント系ソフトではなくベクトルデータで構成されるドロー系ソフトを用いてデータ化されているところに、その最大の特徴があると言えます。点の集合体として成り立つ画像は、拡大され続ければその画像を構成する画素(ドット)が姿を表すため、描かれたイメージとしての形を失っていきますが、片山が作り出す画像は全てがベクトルデータ、すなわち数式として存在しているため、どこまで拡大されてもその姿を失わずイメージとして存在し続けるのです。
この限界無きイメージの題材として片山が選ぶのは、駅の構内やオフィスビルの階段、街中の雑踏など、都会のどこにでも見受けられる風景、無機質で特徴のない都市の一角です。これらの場所が本来持っているざわめいた雰囲気、音やにおい、人が発するエネルギーは、片山がベクトルデータの集合体として再現するとき、完璧なまでの匿名性や均質性、なめらかさといった、いわば「表層」の下に封じ込められてしまいます。しかしそうして生み出されたデータとしてのイメージが、非現実的でありながらどこか既視感をたたえているのは、完全な偽物であるが故に、私達が生きる都市の本質に鋭く迫っているため、とも言えるでしょう。
片山の作品は、ドロー系ソフトの発達が制作を可能にしたテクノロジーの産物であると同時に、気の遠くなるような手作業の集積物でもあります。このテクノロジーとテクニック(手わざ)という相反する技術の上に成り立った作品が、その制作過程から孕んでいる二律背反性もまた、絶えずテクノロジーを進化させながらも自身はなにも進化することなく、自らが生み出したテクノロジーによって生かされてゆく現代人の在り方に対して、片山が持つ根本的な問題意識を象徴的に表すものなのかもしれません。
「ひとが信じるものに疑いを抱かせたいんです」と、片山は言います。
今目にしているものは、果たしてリアルなのかフィクションなのか?
片山の作品は私たちが認識する「現実」と「虚構」の境界を揺さぶり、新しい視覚世界を提示しようとする試みに他なりません。
本展では「Vectorscape」シリーズ待望の新作11点を展示致します。