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"Piet's pet"
"Before yoga"
"Death in Chandigarh"
photo by Keizo Kioku

TARO NASUでは2月25日(土)よりジョージェ・オズボルト個展を開催いたします。

ジョージェ・オズボルト | Djordje Ozbolt

1967年、ユーゴスラビア生まれ。現在はロンドンを拠点に制作活動。
University of Belgrade(セルビア)にて建築を学んだ後、NYに渡り、さらにロンドンに移住。2000年にSlade School of Fine Art(ロンドン)にて学士号取得、2006年 Royal Academy of Art (ロンドン)にて修士号取得。

手のなかにおさまる携帯電話を操作するだけでありとあらゆる視覚情報が入手できてしまう現代において、「イメージ」という存在の位置付けもかつてないほどの揺れをみせている。

一枚の画像は、たとえば世界に拡散することでときにはひとつの国の政治すら左右する可能性をもつ強力な道具なのだと多くの人が気がついてしまった。と同時に画像のはらむ多義性や信憑性をいったんは問うてみることが必要だと警戒せざるを得ない時代でもある。今や意味やメッセージを運ぶ容器としての画像の機能は諸刃の剣なのだと誰もが知っているのだ。

セルビア出身のジョージェ・オズボルトは古今東西の描かれた「イメージ」を分解して再構成する、いわばコラージュにも似た手法で独特の絵画世界を作り続けてきた。インスピーレション源となるのは絵画のようなファインアートにかぎらず、商業デザインやファッション、音楽といった多様な文化からすくい上げた画像である。すべての作品に通底する歴史意識と風刺精神、ほの暗いユーモアは東欧の裕福な家庭に生まれながら、イギリス留学中に起こった祖国での革命によって故国喪失者となったことや、その後の世界放浪といった異文化遭遇の経験のなかで培われた「生き抜くための術」に起因するといえるかもしれない。

今回、オズボルトが一連の作品の主題としてとりあげたのは「名画」として認識されている西洋美術史上の著名な絵画の断片的イメージである。

画像アプリで切り取られたかのように背景を失い、バラバラなモチーフとして残った「名画の断片」は、本来、強力な視覚情報だったそれらが、複製の過程で無力化された姿ともいえよう。その姿に、様々な形で分断され、断片化されていく現代人の日常とアイデンティティを想起することも不可能ではあるまい。

文脈を失うことで意味を失い、伝えるべきメッセージを失って色と線の塊として取り残されたそれらの「画像」は、果たして鑑賞者の視線によって新たな意味を与えられ、「再生」を果たすのだろうか。かつて属していたのとは異なる、未知なる空間に放り出されたそれらの「画像」は、いかにして生き延びることができるのだろうか。