"Blue (Cobalt) PLA©EBO" 1991
"AIDS (Cadmium Green Light)" 1987
"Ponyskin Trinitron" 1988
Photo by Keizo Kioku

1月、2月のTARO NASUは、ジェネラル・アイディアの個展を開催いたします。

ジェネラル・アイディアは1969年(1968年説もあり。)にカナダ、トロントにてF. Partz(1945-1994、カナダ)、J. Zontal(1944-1994、イタリア)そしてAA. Bronson(b.1946、カナダ)よって結成された三人組のアーティストである。ペインティング、写真、パフォーマンス、映像など多岐にわたる彼等の創作活動は、メディアとアートの関係性に焦点をあて創造の可能性を模索した先駆者として、近年あらためて注目されている。

ジェネラル・アイディアの活動を触発したのはM・マクルーハンといわれている。“ポップカルチャーの大祭司”とも呼ばれたマクルーハンのメディア理論は、テクノロジーが社会や個人の生活に与える影響を考察して、1970年代に社会現象を巻き起こした。ジェネラル・アイディアの活動はマクルーハンの思想のアート的実践の体裁をとりながら、“純粋芸術”という概念やアートをめぐる神話に批判的な疑義を呈し、アートの本質を問うものであった。

そのパフォーマンス性からしばしば“カナダのモンティパイソン”とも称されたジェネラル・アイディアは、ポップカルチャーやマスメディア、そして既存の作品等からイメージやコンセプトを引用し、それを新しいコンテクストの中に移し替えて現実と虚構をつなぎ合わせる作品を発表した。アメリカの雑誌『LIFE』のパロディとも言える作品「File Magazine」(1972-1989)や、“美人コンテスト”を男女自由参加によって開催した作品シリーズ「Beauty Pageant」(1970-1978)などは、彼らのユーモアと批判精神をよく表している。

また、彼らにとってイメージとは伝染性をもち、知らぬ間に人間の精神に浸透していく、いわば現実世界のあらゆる側面を蝕むものであった。このコンセプトに基づいてジェネラル・アイディアは際限なく増幅していく“ウィルス”としての作品を生み出した。代表作のひとつ「AIDS」シリーズは、ロバート・インディアナによる作品「LOVE」のイメージを基にして1989年に制作され、ポスター、Tシャツのプリント、切手や路線電車の外装などさまざまな形で繰り返し用いられ、まさにエイズ“ウィルス”のように世界中に広まっていった。

本展ではペインティング作品「AIDS」(1987)をはじめ、テレビをモチーフにした「Ponyskin Trinitron」(1988)、立体作品「Blue (Cobalt) PLA(C)EBO」(1992)など9点を展示する。ユーモアと皮肉を用いて鋭く既存文化を批判しつつ、作品と時代を結びつけたジェネラル・アイディア。現代を予言するかのような彼等の創作活動は、昨今の欧米で再評価の対象となっている。ようやく時代が追いついたかにもみえるジェネラル・アイディアの作品群は現代文化の諷刺として今なお新鮮である。